子供と親と社会と

某社外同期ポータルでは話題沸騰の子育て論議

こういう話題で熱く語らう彼らを、
改めて素敵だなと思い、また頼もしくも思う。
真剣に考えなければ、なにも変わらないのだからね。

それはさておき、俺も書いてみようかな。


今、日本は深刻な少子化に悩まされている。
俺は当たり前だと思う。
この社会で子供を産み、育てることがどんなに困難であるか。

自分の存在に誇りを持ち、親を尊敬し、周囲の社会に敬意を持つ。
そんな状態ならば、きっと子供を育てようと思うだろう。

けど現実はどうだろう。
自分のことさえ、ままならない。
親はリストラ寸前で人生の苦渋に塗れ愚痴ばかり。
政治家は十年一日のごとく何も変わらず、
巷には子供が被害に会う凶悪犯罪のニュースが流れる。
この十数年、俺らの社会には閉塞感と停滞感が漂ってきた。

女性の社会進出だけが少子化の原因じゃない。
明るい未来が想像できなければ、恐ろしくて子供なんて作れない。
そうなんじゃないかって思う。
自分の人生が苦しい人生だったら、
こんな思いをする存在を生み出したいと思えないもの。
子供の非行とか引きこもりだってそう。
親が、大人が、社会が見せる将来像に希望がなければ、
どうやって夢を見つけるというのだろう。

だからこそ、まず考えるべきことは、
「HAPPYに生きる」

ってこと。
幸せの形ってのは人それぞれだろうけど、
それを忘れてしまって、なんか違った方向にいってる気がするんだよね。

「オトナが幸せじゃなければ、コドモは幸せになんてなれない」

俺はそう思ってる。
だから、俺らが活き活きと生きていれば何か変わるんじゃないかと思うんだよね。



今はまだ子供を作る自身も勇気も無い。
だけど、もし子供ができたら自分が幸せなところを見せたいなって思う。
無論そのために子供を切り捨てるのではない。
苦労を避けて生きるとか、楽に生きるとか、快楽的に生きるとかでもない。

ただ、子供がああなりたいと思って欲しい。
子供が将来に希望を見出せるような存在でいたい。

そういうことが書きたかった。

まだ自覚が足りないのかな。
本当に子供ができたときに、その重みのなか、
そんな甘いことを言っていられるかはわからない。

だけど、こういったことを考える良い機会をもらった。
そんな仲間に感謝、ですね。